村田 喜代子 (著) 名文を書かない文章講座
村田 喜代子 (著) 名文を書かない文章講座
カルチャーセンターでの文章講座をまとめたものです。
よい文章とは
- 自分にしか書けないことを
- だれが読んでもわかるように書く
よくない文章とは
- だれでも書けることを
- 自分だけにしかわからないように書く
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関川 夏央 (著) 家族の昭和
関川 夏央 (著) 家族の昭和
向田邦子「父の詫び状」、吉野源三郎「君たちはどう生きるか」、幸田文「流れる」、鎌田敏夫「金曜日の妻たちへ」などを通じて、戦前から戦後、バブル期の昭和を振り返ります。
幸田文の部分がとてもいいです。幸田露伴の娘である彼女が、こんな苦労人とは知りませんでした。
露伴は「薪割りをしていても女は美でなくてはいけない、目に爽やかでなくてはいけない」と文にいった。鉈を 使うにはあたっては、「二度こつんとやる気じゃだめだ、からだごとかかれ、横隔膜をさげてやれ、手の先は 柔らかく楽にしとけ。腰はくだけるな。木の目、節のありどころをよく見ろ」という教え方をした。
父が娘に教え込んだものは技ではなかった。「渾身」ということであった。それが体に沁みこむと、文の体も切れ、 しまいには薪割りなら「ふりおろした刃物がいまだ木に触れぬ一瞬の間に、割れるか否かを察知をすることができ」 る境地に達した。 幸田文はこのように、露伴によって育てられ、つくり上げられた「作品」であった。
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福岡伸一 (著) できそこないの男たち
福岡伸一 (著) できそこないの男たち
「生物と無生物のあいだ」を読んだとき には、その文学性の高さに驚かされました。
この本も科学読み物ですが文学全開です。最後の方に挿入されている「男と女と科学者にまつわるエピソード」などは、山田稔の「コーマルタン界隈」 を彷彿とさせるテイストです。 科学読み物の部分より文学として書かれた挿入部の方が心に沁みいります。
こんな文章をかける科学者は、いままでいなかったのではないでしょうか?
レーウェンフックは自作の顕微鏡で、精子を観察し、雌雄を区別したことに関して ::
見える、とは一体どのようなことを示すのだろうか? 百聞は一見にしかず? 否、私たちは、一見しただけではほとんど何も見ることはできない。 あるいは、私たちは、一見しただけでそこに、ホムンクルスをつくり出すことができる。 中略 私は忘れかけていたことを自戒の意味をもって思い出す。私が膵臓の細胞を見ることができるのは、それがどのように見えるかをすでに知っている からなのだ。どの輪郭が細胞一つ分の区画であるのか、その外周線を頭の中に持っているからだ。その細胞の向きがどちらを向いているのかを、 あるいは細胞の内部に見える丸い粒子がDNAを保持している核であることを知っているからである。 かつて私もまた、初めて顕微鏡を覗いたときは、美しい光景ではあるものの、そこの広がっている何ものかを、形としてみることも、名づけること もできなかった。私は、途切れ途切れの弱い線をしか描くことができなかったはずなのだ。つま、私たちは知っているものしか見ることができない。
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またまた、sekoさんに先を越されました~!
しかも、私がブログに書こうとしていた箇所まで
先に持っていかれました~(>_<)